1578年に完成した書物「本草綱目」に出てくる植物で、
「腎を益し、元を補う」と記されています。
昔は東洋の漢方薬として使用されてきました。
参考文献:国立国会図書館デジタルコレクション
「本草綱目」 第17冊 コマ番号59-60「刀豆」
日本に伝来したのは、この書物「本草綱目」と同時で
慶長9年 (1604) 以前には日本に到来していました。
江戸政府の正史である『徳川実記』台徳院殿御実記の
慶長12年(1607)4月に、「林羅山が長崎で『本草綱目』を購入し、
徳川家康に献上した」記録が残っています。
江戸後期の本草学研究書「本草綱目啓蒙」
※「本草綱目」についての口授「本草紀聞」を整理したもの。
この本に「未熟の者は莢(さや)を連ねて煮食う」とあります。
西日本を中心に各地でなた豆が栽培され、各地域ごとに呼び名も
様々であることが記されています。
ナタマメの名前の由来は、農業全書(1697)で、刀豆を、ナタマメと
読ませたことから。また、本朝食鑑(1697)にも記載があり、
「わが国では、刀豆の字を、なたと読む。木を伐る刀を、
なたと言うが、それがこの豆の形に似ているので、名づけるのであろうか」
という記述があります。
日本各地で土地ごとの食べられ方をしていたなた豆ですが、
特に今でも有名なのが「福神漬け」。
明治時代初めごろ、東京・上野の漬物店「山田屋」(現在「酒悦」営業中)の
店主・第15代野田清右衛門が開発し、自分の経営する茶店で売り出したところ
評判となり、日本全国に広まる。名づけ親は、これを大いに気に入った
当時の流行作家「梅亭金鵞」で、7種類の野菜を使用し店が上野不忍池の
弁才天近くにあった事から「福神漬」と命名されたとされる。
※出展:Wikipedia「福神漬」
400年以上食べられ続けてきた「なた豆」、
もっと多くの方に食べていただきたいですね!
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